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金メダルを首にかけ、観客席の声援にこたえる荒川静香=23日、ロイター |
2シーズンぶりに演じたイタリア歌劇の「トゥーランドット」。2004年世界選手権で女王に輝いた演目をさらに緻密(ちみつ)に、柔らかく、しなやかに気品を漂わせ。ブルーの濃淡のコスチュームに身を包んで、流れるようなスケーティングを披露。アジアの舞姫がイタリアの観衆の心を捕らえた。スタンディングオーベーションが始まった。
23日のフィギュアスケート女子フリーで荒川静香が191.34点で優勝。得点が表示されると、顔を輝かせ、手をたたいてみせた。メダルを懸けた重圧に屈せず、長野五輪から8年間、浮き沈みを経験して得た力を大舞台で存分に示した。不振の日本選手団に、今大会初めてもたらしたメダルの色は最高の「金」だった。
日本フィギュアスケート界初の快挙は、ライバル抜きには語れない。宮城・東北高1年の16歳で長野五輪代表。当時は世界で数人しかいなかった3回転―3回転の連続ジャンプを成功した天才少女だった。「テレビで有名なミシェル・クワン(米国)と一緒。出ることが夢だった」。初の舞台は経験不足で13位に終わったが、そのときにわずか1枠の代表争いを演じた相手が一歳年上の村主章枝(avex)だ。
4年前のソルトレークシティー五輪代表争いで立場は逆転した。郷里の仙台を離れ、早大に進学した荒川は「五輪に出たことで満足していたし、大学生になって周りの学生や社会に興味を持ってしまった。スケートをやる意欲が足りなかった」。1枠を争った村主に気持ちで負けた。
ともに新横浜の同じリンクを練習の拠点にする。だが、村主と比較されることを嫌い、新横浜を逃げるように去った。
村主がソルトレークシティー五輪で5位と躍進し、同年の世界選手権で3位と表彰台に立った。「あれから変わった。リンク貸し切りを取ってくださいと仙台にやってくる。長野に出てからはバーンアウト(燃え尽き状態)になっていたけど、ソルトに行けなかったことで本当にやる気になった」と荒川の東北高卒業までを教えた長久保裕コーチ。
今は荒川が日本に戻れば、新横浜のリンクで練習が一緒になる。荒川を指導する佐藤久美子コーチは「一緒になると、お互いに意識している。2人がいたから互いに成長した」。「違うタイプのスケーター」と評する努力家の村主の存在こそが、天才肌の荒川に刺激を与えてきた。
2年前の早大卒業とともに、引退するつもりでいたが、世界選手権で初優勝。トリノのメダル候補と期待を寄せられた。現役か引退か、揺れる気持ちのまま出た昨季の世界選手権で9位と惨敗し、雪辱を期した。「昨季のままで選手を終えるのは嫌だった。もう一度、みんなに荒川静香を見たいと思われるような演技をしたい」。取り戻した強気の演技で、元世界女王が五輪女王に輝いた。(共同)
亚洲舞姬舞出金牌 优雅演出迷倒观众
两个赛季以后,她重新选择了意大利的歌剧《图兰朵》。昨天,我们看到了一出比2004年世锦赛更加细腻,柔和的表演。身着深浅蓝相间服装的荒川,为我们现上了一套流畅完美的演出。这位来自亚洲的舞姬征服了意大利的观众。大家起立鼓掌为她喝彩。
在23日进行的冬奥会花样滑冰女子单人滑自由滑的比赛中,荒川静香以191.34分夺冠。当分数出来后,她激动得拍手向观众致意。昨天,她没有屈服于誓夺奖牌的强大压力,在这样一个大舞台上展现了自己自1998年长野的8年来几经沉浮历练出的能量。对于不振的日本代表团来说,开赛以来的首枚奖牌就是一块沉甸甸的金牌!
日本花样滑冰界所取得的成绩是和激烈的国内竞争分不开的。1998年,才18岁的荒川代表日本参加了长野冬奥会。当时,她是世界上少有的可以完成3周接3周连跳的天才少女。“能和电视里的米切尔 关同场竞技真象做梦一样!”最终,由于比赛经验不足,她只获得第13名。那一次和她竞争唯一一个代表日本参赛的名额的就是比她大一岁的村主章枝。
但是4年后的盐湖城冬奥会参赛名额竞争的形势发生了逆转。离开家乡仙台,在早稻田大学上学的荒川说:“能够参加奥运会我就满足了。加上现在作为大学生,对周围的同学和社会很有兴趣,滑冰的意愿不是很浓了。”所以,首先在主观意愿上,她就输给了村主。
当时她们两人都在新横滨的冰场训练。但是因为不